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Over The Rainbow (虹の彼方に) 最終話(仮)

私は誰にも聞こえないように深呼吸をした。体に入っていた変な力がすっと消えていき、地に足がついている感覚が戻ってくる。だが周りはほとんど何も見えない。ステージは未だ照明が落とされ暗闇に包まれていた。微かに聞こえるBGMを群衆のがやが覆い隠す。ファンの人たちはもう目の前にいるのだ。
再びここに戻ってこられた。舞台袖からその小さな空間を眺めながら思う。以前のアリーナに比べても、いやその前のライブの時よりも規模は小さい。だがそれはあくまで“バックダンサー”としての話である。今はそんな一歩引いた立場ではない。

「大丈夫?志保。」

隣に立つ伊織さんが囁いてきた。かすかに見えるその顔はいつもと変わらない。当然だろう。彼女たちはそのアリーナでもステージを成功させ、私たちよりもずっと場数も踏んできた。こんなせいぜい100人強も入らない小劇場などに臆する要素は1つもないのかもしれない。しかし、だからといって怖気づくわけにはいかないのだ。

「言われるまでもないです。」

後になって変な空気が残らないような強がり。それが今私の出来る精一杯の返答だった。

「もうすぐ開演よ。頑張ってね。」

プロデューサー代理を務める小鳥さんからも小さな声援を貰うと、左耳についているイヤーモニターからディレクターの声が入る。

「今から客席のBGM止めます!イントロ入りまで10秒。」

僅かに聞こえていたBGMがゆっくりとフェードアウトし、同時に客席から大きなどよめきが起こる。私は一度目を閉じて耳を澄ましていた。心臓の鼓動が体の中に鳴り響く。主役としての初めてのステージ。私たちのこれからへの試金石となる場所。そんな重圧を、心を痛めつける内圧を前へ進む力へと変えて。

「5秒前!」

目を見開くと客席が静まった直後だった。次の瞬間に立つ位置に視界を定める。やってやる。もう私の中にはその言葉しか浮かばなかった。



ウィンドベルの煌めく音の後、再び客席から歓声が沸いた。伊織と志保はわずかなイントロの間に素早くステージへと駆け上がる。伊織が歌声を発する瞬間、ステージは一気にライトアップされた。

――Thank you for… つくろう
――数えきれないステージ
――この場所から

志保が後に続き、最後のフレーズは2人同時に。歌声がステージの上で昇華すると、それを追うかのようにファンのコールが続いていった。反響のせいもあってか、とても100人程度とは思えないような声圧である。

「うわぁ。始まってしもたで……。」
「とりあえず、出だしは大丈夫そうですね。」

ステージ袖からその様子を見守る奈緒と百合子がぽつりとつぶやく。その後ろには翌日以降にステージを控えている星梨花、可奈、杏奈、美奈子が物陰に身を隠し、綺麗に頭だけを縦に並べて様子をうかがっていた。響や春香たちは多忙なためこの場にはいない。

「楽屋にあるモニターでも様子は見られるのよ?」

薄暗い中、わからないように微笑みながら小鳥はステージに釘付けの6人に尋ねた。

「いえ、やはりモニター越しと生では違うのでこっちで見ておきたいんです!」

振り返りもせずに美奈子はこの場にしては少々大きめな声で言った。彼女たちはこれから自分たちが立つステージはどのような雰囲気となるのか、お客さんたちはどんな反応をするのか、そして一番手でありリーダーである志保はどのような振る舞いを見せるのか。それが気になって仕方がないのだ。
だがそれに匹敵するくらい気懸かりなことを思い出した美奈子は、すぐに「あっ。」と声を上げてゆっくりと振り返った。

「あの人は大丈夫なんですか?」
「あの人って?」

小鳥が聞き返すと、今度は遠慮がちに小さな声で言った。

「えっと、黒井社長です。確か事あるごとに妨害してきていたんですよね?だったら、今日のライブも――」

みなまで言いかけたところで小鳥は人差し指を立てて自身の口元に添えた。その仕草は口元のほくろと合わせて自分にはない魅力だと美奈子は思ってしまった。

「一応警戒はしているけど、多分それはないんじゃないかしら。」
「どうして断言できるんですか?」

不安から矢継ぎ早に聞くと、小鳥は先程と同じような笑みを残した。

「黒井社長は、同じ轍を踏むのが大嫌いな人だから。」
「はあ……?」

何のことだかさっぱりわからない美奈子はそのまま呆けてしまった。

「とにかく、961プロのことで心配はいりませんから、じっくりライブ見て勉強してて大丈夫ですよ。」
「わ、わかりました。よくわからないけどわかりました!」

あべこべな言葉を最後に隊列に戻っていく。それを見届けた後、小鳥はディレクターの下へと向かった。ステージ上は丁度Thank you!の1番が終わったところで、ダンスが中心となる間奏部に入っていった。小鳥の存在に気付いたディレクターがパイプ椅子に座ったままで軽く頭を下げる。隣には音響スタッフもおり、目の前にはステージの様子が見えるモニター、その下にはPAシステム、いわゆるミキサーが供えられていた。ライトでぼんやりと明るくなっているのは、PAを操作する時に手元が見やすいようにするためだ。
小鳥はディレクターの挨拶に同じように軽く頭を下げると、モニターを見ながら尋ねた。

「志保ちゃんのステージ、どうですか?」

ディレクターは椅子にもたれ直しながら答える。年季の入ったパイプ椅子はミシミシと音を立てていたが、そんな小さな音は誰も気づくはずがない。

「今のところ今朝のリハ通りでいい感じです。初ライブ、しかもトップバッターなのに頑張っていると思いますよ。」

小鳥が振り返ると、ディレクターは右手親指を立てていた。

「今日まで頑張ってましたから。」
「彼女だけじゃありません。昨日までの調整でみんな仕上がってるように感じましたよ。14日間、きっと上手くいきます。」

短髪の男は軽快に言った。お腹が出ておらずほっそりとした体形は多少若々しく見えるが、業界では中堅と言える年齢となっている彼が今まで見てきたステージは数知れない。このちっぽけな小劇場は、多くの無名アーティストやアイドルたちが歌を披露してきた場所だ。その後そのまま散っていった者も、開花していった者もいることだろう。

「ですね。そのためにもよろしくお願いします。」

本当にそうなってくれるといい。散っていく花々にならないでほしい。小鳥はそう願いながらモニターを見つめていた。

――Thank you for…
――つくろう 忘れられないステージ
――この衝動
「「とめられない!」」
――クラップ 鳴らせ

2人の歌声が響き、ファンのコールがそれを支え、答えるように流れるようなステップを刻む。サイリウムによるオレンジ色の光がステージライトに負けんとばかりに眩い光を放ち、波のように後ろまで広がっていく。その数はアリーナライブよりはるかに少ない。だがそれでも彼女たちにはきっと確かな勇気へと変わっているはずだ。

――ときめく舞台を ありがとう

3つ目のサビが終わり、再び歓声が沸き起こる。モニター越しに見る志保の顔は、普段のような硬い表情でも、レッスン中の険しいものでもなく、見ていて思わず笑みがこぼれてしまうような生き生きとしたものだった。



その後1曲目であるThank you!のステージが終わり、志保と伊織はそのまま箸休めのトークへと突入していく。そこで志保をさらに驚かせることが起こっていた。
今の今までバックダンサーでしかなかった志保。その志保のイメージカラーである白色のサイリウムがひとつ、またひとつと増えていき、ピンク色に負けず劣らず光を放っていたのである。





「はぁ……私ここにいていいのかな。」

新宿の片隅で小さなライブが行われている頃、765プロの事務所の応接室では春香が紅茶を飲みながらため息をついていた。応接室と言ってもただキャスター付きのパーティションで区切られたソファとテーブルのあるスペースである。

「そうは言っても、今日は春香ちゃんの出番はないんでしょう?行った方が返って迷惑じゃないかしら?」

おっとりと答えたのは対面に座るあずさだった。2人はそれぞれ別の仕事をしていたが、今日の予定分は早めに消化しきったため事務所へと戻ってきているのである。

「でもさっき小鳥さんから『可奈ちゃんたちは全員でステージを見守ってる』って連絡が来て、私も一緒に応援したほうがいいんじゃないかなって。」
「気持ちはわかるけど。前日までのリハにはみんな参加してたんでしょ?あまり過保護だと逆に心配されるわよ?先輩は頑張りすぎだって。」

ふと別の声が聞こえたので振り返ると、応接室の入り口に律子が立っていた。律子も早々と仕事を終え、事務作業を手伝っていたところだった。だがそれも“ことの発端”が解決されたおかげでほとんど収拾がついている。

「聞いてたんですか……。」
「あれだけ大きなため息つかれちゃね。」

春香は「それもそうですね。」と軽く微笑むと、テーブル中央に置かれているお茶菓子に手を伸ばした。

「ほどほどにしておきなさいよ。」

律子が呆れたように言うと、同じように手を伸ばそうとしていたあずさが固まった。そのままするするとティーカップに手を戻す。

「どっちがですか?心配?それともお菓子?」
「……どっちもに決まってるでしょ。」

春香は良い音を立てながらおせんべいをひとかじりしていた。

「あずささんも明日はグラビアの撮影があるんですから自重してくださいね?」
「わ、わかってますよ~。」

あずさは目を逸らしながら音を立てずに紅茶をすする。律子が苦笑いをしていると、事務所の出入口の扉が勢い良く開いた。

「お疲れ様です!」

若々し男の声は、少し久しいものだった。

「お疲れ様ですプロデューサーさん。体の方はもう大丈夫なんですか?」

春香が立ち上がって出迎える。あずさと律子もそれに続いた。

「ああおかげさまで。春香も重いもの持ちあげるときは気を付けた方がいいぞ。『よいしょ』って言いながらやるとなりにくいんだってさ。」
「あはは……そんな機会あるかな……?」

出来ればそんな機会はあってほしくないだろう。次は春香が苦笑いする番だった。

「でも本当に無理なさらないでくださいね?また仕事お休みされたら大変なことになりますし。」
「そうですよ。何とかここまでやってきましたけど、体は大事にしてくださいよ?私も心配ですから。」

あずさと律子もねぎらいの言葉をかける。仕事自体は数日前から復帰していたのだが、事務所で3人と言葉を交わしたのは今日が復帰以来であった。

「みんな……すまないな。」
「いえ、久しぶりにプロデューサーさんの顔が見れてうれしいです。……それで、質問なんですけど。」

春香は急に神妙な顔になって一度口を閉じた。誰も作業していない、モニターの1つも点いていない事務所は時計の秒針が聞こえてきそうなほど静まり返った。

「……休んでる間、美奈子ちゃんに何をしてもらったんですか?」
「えっ……?」

男はわかりやすく動揺していた。一瞬にして目が泳いだのである。

「あー……私もそれ聞いてみたいですねえ。」
「教えていただけませんか?プロデューサーさん?」

律子とあずさがプロデューサーに詰め寄ってきた。みんな顔が半笑いだが、まったく楽しそうに見えなかった。

「ええっと……ああ、俺社長に用があるんだけど。」
「社長は大事なお客さんと話があるからって下のたるき亭にいます来るなって言ってました。」

律子はどこも区切ることなく早口で言葉を殴りつけた。楽しそうに見えないどころか、もはや殺気しか見えない。メガネのレンズが光って表情が全く見えない。今流行のブルーライトメガネってメガネから光が出るものだったのか。と現実逃避ができるのもここまでだった。

「と、とりあえず落ち着けよ。な?話ならゆっくりしてあげるから。」
「言いましたねプロデューサーさん?じゃあ美奈子ちゃんに何したのかから――」
「俺はなんにもしてないよ!?」
「春香ちゃん?プロデューサーさんはぎっくり腰だったんですよ?だからしたのじゃなくて何をさせたのか――」
「向こうが勝手に来ただけですってば!!」
「はいはい言い訳はいいですから。」
「いや言い訳じゃなくてだな……。」

3人に押されて応接室に消えていくプロデューサー。プロデューサーの家に美奈子他2人が訪問したことは、真と貴音を通じて全員に通達済みだった。中には「そんなことどうでもいいじゃないですか。」と言う娘もいたが、泡を吹いて倒れる寸前になった娘もいたぐらいだ。翌日の仕事をよくドタキャンしなかったと言うべきである。

「勘弁してくれないかな。ただ俺は普通にお世話をしてもらっただけで――」
「普通にお世話ってなんですか!そこが問題なんですよ!」
「そうですよ!プロデューサーは事の重大さが全くわかってません!」
「……誰か助けてくれ……。」

いつもの笑顔はどこに行ったのか、激しい剣幕で襲いかかろうとする春香たちに長期戦を覚悟し始めた頃、1階のたるき亭では高木社長がその大事な客人と酒席を共にしていた。陽も落ち、メニューが定食類から居酒屋らしくなった店内は、その時間を考えると客は多くない。

「最近は佐竹君の宣伝もあってか、みんな佐竹君の両親が経営する中華料理店で飲食や会議をすることが多くてね。静かになったものだよ。この雰囲気も昔を思い出して嫌いではないが、いささか寂しくてね。」
「貴様の思い出話に付き合うために来たのではないぞ。」

高木社長の対面でグラスを煽っていたのは黒井社長だった。テーブル中央にはつい先程女性従業員が運んできた、蒼い焼き鳥を中心としたたるき亭定番(?)の料理が並んでいる。彼女はこのたるき亭でアルバイトをしている女性従業員であり、お客さんからは「小川さん」と呼ばれ親しまれている。水瀬伊織とよく似た声の持ち主だ。明るめの金色の髪が印象的である。しかし白のエプロンと頭のナプキンに収まっているその姿は決して派手というわけではない。

「まあそうカリカリしなくていいじゃないか。数ヶ月ぶりの再会じゃないか。」

高木は笑っていたが、黒井は面白くないようだった。

「久しぶりだから旧交でも温めろと?生憎だが私はそんなに暇じゃないのでね。貴様のところも今はライブをしている頃だろう?こんなことをしていていいのかね。」
「流石によく知っているな。」
「私の情報網を舐めてもらっては困るな。」

黒井は蒼い焼き鳥に手を伸ばした。蒼いというが焼き鳥が蒼く変色しているのではなく、普通のももやせせりなどの焼き鳥の上にバジルやチーズ、ニンニクなどが入ったグリーンペーストが添えられているだけであり、言わば洋風焼き鳥である。前々から名前で損していると高木や常連客に言われているが、亭主が名前を変えないので数年前からこの状態である。他にも豆腐×豆腐やカラフルニコミーズなど、味は美味いが名前から料理が想像できない奇抜なものが多い。
グリーンペーストを落さないようにそのまませせりにかぶりついていると、今度は高木が質問をした。

「しかし、ならどうしてライブに水を差そうとしなかったのかね。」
「…………。」

その言葉には黒井社長は閉口した。手に持っていたグラスの氷が解けてカランと音を立てる。

「今更正攻法を取る気になったのではあるまい。」

鼻で笑いながら問いかけると、黒井社長はすぐさま持論を展開した。

「私が今まで私のやり方を非正攻法だと思ったことはない。強きを選抜育成し、邪魔な芽を潰す。これのどこが間違っている?」
「……なら今回のライブも潰せばよかったのではないかね?」
「それは貴様が今のような要らん根回しをしてきたからであり――」
「違うな。」

再び黒井社長の口がぴたりと止まった。

「何がどう違うと言うんだ?」

それは思い出話を始めた高木に対して憤っていた時と同じ口調だった。

「芽を踏み荒らすのは不可能。いや、やるだけ無駄だと判断したのだろう?」
「一体何を根拠に。」

グラスを煽りながら嘲笑気味に言う。だが高木は口を休めることはなかった。

「瞳だ。」
「……は?」

黒井は静かにグラスを置いていた。眉間には皺が寄っている。高木はグラスの上辺を持って何度かくるくると回すと、俯いたまま話を始めた。

「数か月前、君は如月君を陥れようとした。家族の不仲を使い、精神的に追い詰め、歌えなくすることで再起不能にしようとした。」

偶然捉えることができた如月千早とその家族の過去。この亀裂を利用すれば、順調にトップアイドルへの道を上ろうとしている彼女の意思を挫くことができると考えたのだろう。実際、事は思惑通りに進んだ。

「しかし計画は失敗した。如月君は仲間の支えもあり声を取り戻した。しかしそれはたった一度だけだ。もう一度追い込めば再び崩壊する。そこでライブを妨害した。」

ライブの準備を遅延させ、待機しているアイドルを不安にさせる。その渦中にいる千早も精神的に追い詰められないわけがない。更に音源を消し去ってしまえば、再びステージに上がることはないだろう。そう確信していた。

「だがそれでも如月君は立ち上がった。その時私は感心したよ。彼女の目にね。踏まれ揉みくちゃにされどれだけ穢されても、歌を歌うその時は目が死んでいないどころか生き生きと輝いていた。」

彼女はおいてやった壁をすべて乗り越え突破し、表舞台へと帰ってきた。どれだけ手を加えようとしがみついてよじ登ってきた。それは彼女だけの力ではない。それは散々否定してきた「絆」を、それに裏打ちされた強い意志を突きつけられる形となったのだ。

「ここからは憶測だが……君はライブ開催前に返事を聞きに北沢君と佐竹君に会っているはずだ。その時2人は君の提案を断った。その時の目が、如月君のそれに似ていたのではないのかね?いくら邪魔をしても這い上がろうとする彼女の目に。」

高木が口を閉じると、黒井は退屈そうにため息を吐いた。

「貴様の妄言は聞き飽きている。」

言ったのはそれだけだった。回答も返答もない。だが高木はそれだけで解を得られたような気がしていた。

「……そうか。」

呟くように言うと高木も焼き鳥のももに手を伸ばした。せせりは油分が多いためペーストとは別に皿が汚れている。それに比べれば、ももはまだ綺麗な状態で皿に座っていた。

「ばかばかしい。……話はもういいだろう。私はこれで失礼する。」

黒井は財布から千円札を数枚出すとテーブルに叩きつけるように置いて席を立った。すでに領収書に記載されている以上の金額である。

「そんなに払わなくても私が出すが。」

高木が呼びとめると、店を出ようとしていた黒井は立ち止まりその場で振り返った。そして厨房と客席の間に立っていた小川に向かって顎をしゃくった。

「そこの綺麗なお姉さんへのサービスだ。アデュー。」

最後は人差し指と薬指、親指を立てた右手を軽く掲げると、そのまま店を出て行ってしまった。

「相変わらずいい歳してきざな男だ。」

閉じられた出入口を見ながら高木は苦笑いする。

「いいおじさまって感じですね。話はうまく行ったんですか?」

顎で指された小川が高木に話しかける。いつもはランチタイムだけ働いているのだが、今日は偶然シフトの都合でこの時間に変更されている。そのため黒井とはお互い全く面識がなかったのだ。

「あの男の方針はどうやっても捻じ曲げられんだろう。ただ……。」

高木はグラスの中身を飲み干すと、ふうっとため息をついた。

「961プロがこのアイドル界を賑わせ続けるのは間違いないだろう。」

それはどういう意味で言ったものだったのか。小川にはさっぱりわからなかった。





時はあっという間に過ぎていった。当初は不安を覚えていた7人であったが、初日である志保と伊織のステージの成功もあり、大きな問題を起こすことなくそれぞれのステージを披露していった。心配からステージ脇よりみんなで見守るというような行為も初日だけに終わり、2日目の星梨花と響のステージからは事務所で出向かえる程度に収まっている。
また奈緒と亜美真美のライブや百合子と雪歩のライブなど、他と一風変わったステージでは先輩アイドルの他、先にライブを経験した者たちの意見も参考にしながら、直前のリハーサルまでに柔軟に対応して本番へとつなげた。歌やダンスを中心としたライブとは違った緩急の付いた彼女たちのステージも好評であり、特に百合子と雪歩の朗読劇では熱の入った朗読により涙を流すファンもいたと噂が立っていた。
ライブも2順目に突入するとライブの質は更に向上していた。小鳥にお願いしてライブの映像を借り、翌日にその映像を確認することでそれぞれのライブの問題点を洗い出し、みんなで議論して改善点を模索していたためである。これはリーダーである志保の提案であった。

「先輩から見て、私たちのライブはどうですか?」

事務所のモニターで映像を確認しながら可奈が春香に尋ねる。

「お客さんも盛り上がってるし、とてもいいと思うな。みんな楽しそうにできてるし。」
「確かに笑顔はできているように思いますね。」

志保が頷くと真が手を挙げた。

「余裕ができたら、もっとお客さんの掛け声に反応してもいいよね!」
「り、リアクションってどうすればいいんでしょうか……?」
「いや、杏奈は十分すぎるくらいできてるわよ。」

伊織が突っ込むと周りから笑いが起こる。杏奈は恥ずかしそうに縮こまっていた。彼女はいつもこの調子であるが、一度衣装を着てステージに立つとそんな様子を全く感じさせないくらい活発的なステージを披露していた。貴音に「面妖な……真、素晴らしき努力ですね。」と言わしめたほどである。

「それでは今日の反省会はこれくらいでしょうか?」

志保の質問に答えたのは春香であった。

「そうだね。じゃあこれでおしまい。今日ライブの人はリハに行く準備をして、他はレッスン場ね。」
「「はい!」」

元気な返事と共にアイドルたちが散っていく。自分たちがアイドルとしてステージに立てたことで、7人には実感と希望が生まれていた。実感は勇気と行動力に変わり、希望はまだ見ぬ劇場への期待へと変わる。ライブを成功させて秋葉原のステージに立つ。そしてその客席をファンでいっぱいにしてみせる。今までただの夢だったもの。そればかりか不安の対象でもあった遠い世界の絵空事が、少しずつではあるが形が見えてきたように思えていた。
そして弾丸ライブ開始から14日目、いよいよフィナーレを迎えていた。



「みなさん!本日のライブお越しいただいてありがとうございました!……次が、ラストの曲になります!」

美奈子の声が反響すると、客席からは「ええー!」という声が返ってくる。今日もあっという間にライブが終わってしまった。楽しかった時間を名残惜しむ声である。

「ありがとう!私ももっと歌って踊っていたいけど、これ以上やっちゃうとみんな帰れなくなっちゃうから!」

客席から笑いが起こる。次いででインカムに声を送り込んだのは真だった。

「今回は14日間のロングランに加え、2人ずつペアでライブを行うっていう初めての試みだったけど、みんな楽しんでくれた!?」

歓声が沸き、同時に数多くの青と灰色のサイリウムが瞬いた。嬉しい反応に2人は顔を見合わせる。再び静かになるステージの上で、美奈子はゆっくりと口を開いた。

「私たちも歌って踊れて、すっごく楽しかったです!新人である私たちにはこれが初めての“私たちの”ライブでしたけど、皆さんのおかげでとてもいい思い出になりました!ありがとうございます!」

美奈子が深々と頭を下げる。拍手と個々のエールが送られる中、すっと上げた美奈子の顔は笑っていた。

「ふふっ。じゃあ最後もしっかりと決めないとね!」
「もちろんです!では『765新人アイドル、試練の七番勝負×2!!』最後の曲は――」

「せーの」という小さな声の後、美奈子と真は同時に曲名を発表した。

「「THE IDOLM@STER!!」」

ひときわ大きな歓声が沸き、イントロが流れ出す。ステージライトがリズムを刻み始めると、寒色に染まっていた客席がオレンジ色に熱く燃え広がっていった。光によって作られたかのような錯覚に陥る舞台で、美奈子と真はその身体を翻す。

――もう伏目がちな 昨日なんていらない
――今日これから始まる私の伝説

美奈子と真がライブの最後にこの曲を選んだのには理由があった。1つはダンスを中心とするステージにおいて、ラストもダンスナンバーで締めくくりたいという思いがあったこと。もう1つはこれまでの765プロ主催のライブでよく歌われていた曲であるため、お客さんも盛り上がりやすいということ。
そしてもう1つは、このライブステージを歌詞になぞらえた美奈子の願いだった。ライブは今日で終わる。しかし私たちはここで終わらない。もっと先へ進みたい。その思いを歌とステップに乗せて。
絶えることないファンのコールに包まれながら、美奈子も真もこれまでずっと踊り続けていたとは思えない見事なパフォーマンスを披露し、魅了した。鳴り止まない拍手と歓声の中、2週間に及んだ小さいようでとても大きなライブは幕を閉じた。





新宿でのライブを終えてから数週間が経った。秋葉原の765ライブ劇場を見据えての演習的意味もあったライブであったが、アイドルたちで考えたライブは大成功を収め、高木社長は正式にGoサインを出すに至った。そこからは今まで以上にレッスンに時間がさけるようになり、765ライブ劇場で初披露する新曲やライブの構成など、話はとんとん拍子で進んでいった。

『それで、今あの娘たちはどうしてるんだ?』

携帯の奥からプロデューサーの声が聞こえる。日が暮れて数時間以上たった事務所で、律子は書類に通す目を休めてかかってきた電話に応えていた。プロデューサーは既にハリウッドへと飛んでいる。

「もうすぐ劇場での初公演ですよ。……気になるんですか?」
『そりゃもちろん。あずかり組とはいえ一緒にステージに立っていた娘たちなんだからな。』
「ふふっ。心配するのは結構ですけど、国際電話って結構高いんですからそっちの心配もしてくださいね?」

受話器から彼の笑い声が聞こえてきた。

『それは大丈夫だよ。そんな頻繁にかけてきたりしないって。』
「あら。なら問題ないか。それよりそっちはまだ朝早いんじゃないですか?」

ふと壁にかかる時計を眺めながら言う。

『そうなんだけど今こっちはサマータイムだからさ。1時間早いんだよ。それで今は通勤前にカフェで一服してるってわけ。』
「それはなんとも優雅ですねー。」

今までそんな朝早くに洒落たことするような人ではないと思っていたのだが。律子はそう思いながらも、素直にうらやましさを感じていた。

『まあ普段はこんなことしないんだけどな。たまにはこうのんびり過ごしたくて。』
「ああ。いわゆる外国人がやってるのを憧れて……みたいな?」
『はははっ。結局はそういうことかな。ここだと俺が外国人なんだけど……』

そう言いかけたところでプロデューサーの声が途切れた。

「……?どうかしたんですか?」
『いや、どこかで聞いたことあるような声が――』
『ハーニーィーーー!やっと見つけたのー!!』

なぜか受話器から聞き覚えのある女性の声が聞こえてきた。その特徴的な声と言葉ですぐにわかった。プロデューサーよりも遅れて渡米した星井美希である。

『うわっ!美希!こら、急に抱きつくな!』
『やっと会えたねハニー!ずっと探してたの!って、誰と電話してるの?』
『律子とだよ!……悪い。もう切るからな。お疲れ様!』
「は、はい。お元気で。」

最後は慌ただしく電話を切っていった。耳が静かになったところで律子はため息を吐く。後に残ったのは誰もおらず静かな事務所だった。

「相変わらずねえ美希は……。」

誰に見せるわけでもなく笑い顔を作る。しかし美希はプロデューサーとは別件で渡米していたはずだが、どうやって居場所を特定したのだろうか。

「恐るべき嗅覚ね。」

ぽつりとつぶやくと律子は再びパソコンのディスプレイに向かった。



一方その頃秋葉原では、劇場での初のライブを前に志保、美奈子、星梨花、可奈、奈緒、百合子、杏奈の7人がステージの外で開演への準備を進めていた。みんな真新しい衣装に身を包み、その瞬間を待っている。

「ふうー。流石に緊張してきたね……。」

可奈がため息を吐く。そこに「そうやなー」と奈緒も続いた。

「今日は先輩たちおらへんから、それでちょっと空気もちゃうし。」
「でも逆に言えば、実力差を直に比較されることがない分、気が楽じゃないかしら?」

志保が言うと、すぐさま美奈子が付け加えるように言った。

「それに、私たちはもう初めてのライブじゃないんだし。構成も自分たちで理解した上で考えてるんだから。絶対大丈夫だよ!」
「そうだよね。これまでずっとやってきたんだし。」

百合子に続いてその場にいた7人全員が頷いていた。今は何もわからない手探りの状態ではない。準備は万全の状態にしてきたのだ。ここに立つのが夢みたいだと思っていたあの頃の私たちではない。

「じゃあさ、私たちも『765プロ、ファイトー!』みたいなのやらない?」

ふと思いついたのは杏奈だった。

「ええやんそれ!気合も入りそうやしやろうや!」
「いいね!私こういうのずっと憧れてたんだ!」
「楽しそうだよねこれ。私もやってみたい!」
「……あまり気のり……いえ、やったほうがいいわね。」

奈緒の賛同をきっかけにそれにみんな続き、志保も最後は渋々と言った感じで承諾した。

「それじゃ、みんな手を出して!」

美奈子の声を基に皆が右手を差し出す。7人の手は円陣の中心にまっすぐ伸びていた。

「誰が掛け声するん?」
「そりゃもちろん、リーダーじゃない?」
「わ、私!?」

リーダーがやるべきと言った可奈が多少ニヤついて見えたのは気のせいだろうか。突然の指名に志保は驚いていた。

「さあリーダー、よろしくお願いします!」
「失敗したらケータイ取り上げ読書討論会の刑ですよ!」
「人をケータイ依存症みたいに言わないでください!」

星梨花と百合子の追立に負けた志保は、少々顔を赤くしながらも覚悟を決めていた。

「じゃあ、いきます……な、765プロ、ファイトー!」
「「「オー!!!」」」

高々と上がる7本の手。自然とこぼれる笑み。お膳立ては整っていた。

「みなさん!そろそろスタンバイお願いします!」
「「はい!」」

ディレクターに促され、はっきりとした返事と共にステージ入りするポジションへと移動する。もう悩みも迷いもなかった。ただ、目の前のやるべきことをやるだけだ。全員がその気持ちだった。
ステージは滞りなく始まった。




――レイディースエンジェントルメン!765プロライブシアター第1回公演、スタートです!!

ステージインと共に会場が熱気に包まれる。7人が見たものは、開演初日にもかかわらず満員となった客席だった。サイリウムで七色に彩られたその光景は、まさしく空に架かる虹だったのである。



(了)

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緑虫

Author:緑虫
千早病にかかったプロデューサー兼提督。一時激しかったアイマス熱も落ち着き、ついでに執筆意欲も減少してきて現在に至る。扶桑姉さまに慰めてもらいたい。

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